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報いを受けるべき者が報いを受ける爽快感。 真島文吉「棺の魔王1」



「貴様らの理念、貴様らの理想、とうてい賛同はできんが、理解はした。私利私欲ではなく、ひたすらコフィンの民を絶滅させないため、より多くを生かすために行動したことは認めてやろう。元老院には、元老院なりの大義があったと、認めよう」
「……だが、殺すのだろう?」
「当然だ」(196ページ)


約1年ぶりにラノベレーベルを読んだ。

雨と曇りの王国コフィンに、圧倒的破壊力の兵器「神」を有する隣国スノーバが侵攻する。
あっという間に占領を完了したスノーバは、コフィンの民を完全に隷属させるため、精神的支柱となる英雄を次々と殺害していく。
王族としてただひとり残された王女ルキアは、スノーバ軍の司令官たちから与えられる屈辱に怒り、懊悩する。

ルキアがスノーバの幹部に呼び出されるところに出会うたび、この年になってもいたたまれない気持ちになる。
スノーバ軍司令官ユークは、大航海時代に植民地を次々と獲得したヨーロッパ諸国の論理の体現者であると思う。
作者は相当歴史を勉強していると思われるが、子供が犠牲者になる描写がないのは優しさなのか出版社の意向か。

実際のところ、ラス・カサスのインディアスの破壊についての簡潔な報告や高山正之の白い人が仕掛けた黒い罠などを読んでも判るとおり、異人種に対する植民地化の過程は苛烈である。
インディアスの破壊についての簡潔な報告に載っている、スペイン人がインディオの子供を壁に叩きつけて殺したり、並べて吊るして火あぶりにするなどの挿絵はシンプルなだけに気が重くなる。

インディオ

王女ルキアは苦労ばかりだが、部下には恵まれていて、冒頭は腹心のガロルが戦争の当初からスノーバと内通していた元老院を粛清する場面である。
立場が違っても論理と信念があり、それは理解する。しかし許せない。
ここで、許してともに戦おうという流れが悪い意味で道徳的だと思うが、ガロルは一刀両断にしてしまう。
なんだか新鮮でスカッとした。

続きも読みたい。
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狂気と正気は異世界ではなく同じ地平にある。 武田泰淳「富士」



くたばれ気ちがいども。気ちがいだからと言って、特別あつかいしてもらえると思ったら、とんでもない間違いだぞ。甘ったれるな。なれなれしくするな。もう理解なんか、してやらねえぞ。(550ページ)

昭和19年、精神病院で働く若き研修医が、患者たちに振り回されるうちに自らも狂気に侵食されていく。
冒頭の文は、混乱の巷と化した精神病院で、主人公の心の叫びもしくは本当の叫びである。

特に第10章「愛をもって接しなさい」は、主人公の子供であるイエスを妊娠したと信じている女の患者が、看護婦たちに説法をするうちに正気である看護婦たちも、何の抵抗もなく女と同じ狂気に賛同していくさまが素敵で、それに巻きこまれた主人公も、怒りのあまり狂気に足を踏み入れていく。

自閉症スペクトラムというように、狂気の程度はグラデーションであり、今は正気でもそのまま狂気に移行することは容易である。
正気と狂気の間に壁も谷もなく、普段から狂気は心の片隅に存在している。

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「おもしろい」の公式が判る。沼田やすひろ「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方



具体的に「三幕構成」の「三幕」とは、どのようなことを描くのでしょうか? ずばり「対立・葛藤・変化」です。

始め(第1幕)に「対立」を描く。すなわち登場人物の「役割上の対立」及び主人公の「内面の問題の対立」

ストーリーの中間部(第2幕)で主人公が問題に立ち向かって悩んだり、努力したり、苦労する。ここで「成長葛藤(仲間がいて乗り越えられる)」と「破滅葛藤(仲間がいなくて乗り越えられない)」に主人公が立ち向かうと納得できるおもしろさになる。

終わり(第3幕)に「変化」を遂げた主人公は、すべての対立を解消する。(58ページ)


映画の「おもしろさ」とは具体的に何があれば「おもしろい」のかを懇切丁寧に解説した本。
冒頭に示した3幕構成の説明だけで、おもしろい物語が作れないと悩んでいるすべての創作者の悩みは解決する。
3幕構成を意識したプロットを作るだけで、平均点以上のものは確実にできるだろう。

さらに、ストーリーの「おもしろさ」を13フェイズにわけてどんな場面が必要かも書いている。
また、キャラクターにどんな役割を振れば「おもしろく」なるかも記載されている。

映画の解釈のための本ではあるが、すべての物語に適用できる。現に13フェイズを使っておもしろさを分析した例には、テレビアニメの魔法少女まどか☆マギカも使われている。

物語の目的は「おもしろい」ことだけにあるのではないと承知はしているが、僕も含めて「おもしろい」物語を作ろうとする者たちのための模範解答、いや公式であると思う。

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自由の最終形は孤独である。檀一雄「火宅の人」



もし、万般のいつわりを以てしなかったら、男女は僅かに一週間の共存にも耐え得ないのではないか。いつわりと言うのが言い過ぎだとしたら、生活術だ、愛だ、いや、愛の隙間を糊塗する生活の技巧である。

最後の無頼派と呼ばれる檀一雄の私小説。

よく見るのが「檀一雄が半年も海外旅行をしている間に子供たちは鶏のエサを食べていた」というものだが、それは「火宅の人」の時系列を無視したつぎはぎである。

放埓に生きることが真の自由であると信じ、ほとんど我慢というものをしない思うがままの生活をする。
浴びるほど酒を飲み、何人も愛人を作り、好きなだけ放浪する。

にもかかわらず、自分の求める自由とは放浪の中の孤独であると気づく。
子供は5人作るし、愛人には惜しみなく金を与えて自分からは決して別れを切り出さず、友人を呼んで大騒ぎするのが大好きである。

基本的に優しいひとなのだろうが、欲望に従えば従うほど、自分が真に求める自由、すなわち孤独からは遠ざかっていることも自覚している。

文中にはあまり書かれないが、これだけの生活を維持するためにどれほど執筆しているのかと計算してみると、放埓はただの息抜きではないかと思えてくる。
愛人と数か月旅行に行く際も、ちゃんと仕事は持って行って旅先から郵送するのだ。

少しだけうらやましいとも思うけれども、僕だったらきっと疲れ果ててしまうだろう。

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王道のエンタメ構造。 池井戸潤「陸王」



「会社や仕事を選ぶのもひとつの賭けなのかなあ」と大地はひとりごとのようにいった。
宮沢は、もの思いにふけった息子を思いやる。
「だけどな。全力でがんばってる奴が、すべての賭けに負けることはない。いつかは必ず勝つ。お前もいまは苦しいかもしれないが、諦めないことだな」(359ページ)


斜陽産業である足袋の会社社長が、このままジリ貧でいつか潰れるよりはと一念発起して、レーシングシューズ業界へと挑む。
代々受け継いできた足袋の技術をシューズ開発に応用しようと頑張るが、うまくいかない。

自分の職務に忠実すぎるゆえに冒険を快く思わない番頭。
死蔵特許を法外な値段で売りつけようとする元社長。
ライバル会社を放逐されたベテランシューフィッター。
就職面接に落ち続ける息子。
ケガで挫折した長距離選手。
非協力的な銀行。

そして、あらゆる手段で妨害を試みる大手ライバル会社。

最初はまさに孤立無援であり、ちょっとうまくいったと思ったら大問題が発生する。
こういった上げ下げのイベントのリズムがとてもうまい。

そして、社長の熱意に冷淡だった周囲から次第に仲間が集まっていく。
もちろん、脇役とはいえそれぞれのドラマの書きっぷりは十分である。
エンタメで最も重要と思っているのは「強大な敵(運命でもよい)」だが、ライバル会社の社長らは徹頭徹尾悪役であり、同作者の「半沢直樹」シリーズと同様の構造を持っている。
悪役を徹底的に悪役に徹させているのが、エンタメの王道と感じる所以である。

調べてみたら、ランニング足袋というのは結構ポピュラーらしい。
そういえば、中学生までは短距離で速いのは裸足で走る同級生だった。

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人の形を失った命は、命そのものであるが人間ではない。 北条民雄「北条民雄全集上巻」



死んでいますとも。あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか考えてみてください。一たび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか。(47ページ)

作者の北条民雄はハンセン病に罹り、東村山市の全生園という収容施設に隔離された。
その体験をもとに描かれたハンセン病患者たちの凄惨かつ無慈悲な描写は、自らが患者でなければどうしても筆先が鈍るだろう。
自分の身体が次第に感覚を失い、周囲にいる末期の患者たちに近づいていく恐怖によって、命とはいったい何なのかとことんまで考えつくした清華がこれらの作品になっている。

現代では生まれない作品だろうなと思う。
現代は、80年前より自由ではない。



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もっともドキドキした青春小説オールタイム・ベスト 黒井千次「春の道標」



 その美しいものを自然の形で眼に収めたい、という誘惑に彼は打ち克つことができなかった。棗は無言で上半身を起こした。と、ふくらみはまろやかな重みとなって胸に実った。スリップの線に指をかけて自分を確かめるように肌着の中を一度見下ろしてから、彼女はそれを明史に差し出した。掌に受けた棗を彼は注意深くスリップの脇から汲み出し、どこかにまだ子供っぽい表情の残っている薄赤い頂きに口唇を触れた。温かな肌の匂いが立ちのぼり、口に含んだものに慎み深い固さを押し返した。ボタンをはずしはじめてから今までのすべての棗がひっそりとそこに蹲っていた――(212ページ)


昭和25年の国分寺や府中付近を舞台にした青春小説。

新制高校2年の明史は、中学3年生の棗に一目惚れする。
その丁寧な描写がうずうずさせる。
それだけではなくて、引っ越した初恋の幼馴染と文通を続けていたりしている。

字体から相手の心持を読み取ったり、棗と携帯がなくても待ち合わせができたりと、高々60年前なのに、我々は自分の感応を使うことを忘れてしまったように思える。

冒頭の一節は、明史が誰もいない丘の上で自分のコートを敷いて棗を横たわらせ、イチャイチャしているところのクライマックスだが、今まで読んだどんな本より興奮した。
そのシーンを、ノート2ページほどに手書きで写した。
こんなこともめったにないことだ。

僕が書きたいと思うエロスに極めて近い。
行為が書かれていれば興奮するのではない。
僕がこの文章にこれほど興奮した理由はまだ分析していないが、する必要はないだろう。
この興奮が何らかのアウトプットに資することは間違いないのだから。

ここまでしておいて、棗は思いもよらない発言、ある意味で世間知らずで身勝手な、をする。
その理由が、まず60年後の現代では考えられないことである。
かつてローティーンは大人扱いされる一歩手前だったのだなあと思う。
今の70~80歳のひとはそういう時代を生きていた。
ほとんど異国のように感じる。

ともかく、いい作品です。


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共同便所と呼ばれる妻と別れられない。 谷崎潤一郎「痴人の愛」

 私は彼女の足下に身を投げ、跪いて云いました。
「よ、なぜ黙っている! 何とか云ってくれ! 否なら己を殺してくれ!」
「気違い!」
「気違いで悪いか」
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでいい!」
 私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。(367ページ)


この作品が初めて世に出た100年前、「悪魔主義的」という評価を受けたが、上記の主人公の魂の叫びは、まさに悪魔主義の精華というべきものである。
これが新聞に連載されていた小説だというから、100年前のおおらかさがうらやましい。
世の中は結局、大衆の無意識の赴く方へ進んできたと思うので、現今のリベラルを重視するがゆえに世知辛い世の中も、集合的無意識の流れに乗った延長にあるのだろう。

さて、ヒロインのナオミに対する論評は100年間で出尽くしたと思うが、ナオミの肉体に全く完全に屈服した主人公夫婦に、人並みの幸せは決して訪れないだろうなとは思う。
ナオミは強情でプライドは高いけれども、いろいろな男に肌身を許して挙句に共同便所と当の男たちから陰口を叩かれることに何も感じないのだろうか。きっと自分が好きでそうしているのだから問題ないのだろう。

読みながら、様々なことを考えさせられる。

源氏物語の若紫のように、少女を自分好みの女に育てるためにわがままをすべて許してきた結果が、共同便所扱いされる淫婦を生み出したしたのではないか、とか。

売春宿で育ったナオミが淫婦になるのは育ちからいって当然と登場人物が語る場面がある。現在では生まれや育ちでレッテルを張るのは良くないことであるということが常識になっているが、生まれや育ちが人格形成に影響を及ぼさないことはありえない、とか。

全裸にコートでうろつくナオミは、バブル時代の世相にもふさわしい、とか。

自由は自由の制限でしか体感できないように、人間は主人公とナオミの関係でみられるマゾヒズムを含む、他者とのかかわりでしか自己を認識できないのではないか、とか。

ナオミとは旧約聖書のルツ記にある優しい姑の名前だが、谷崎潤一郎は当然これを大いなる皮肉として名付けたのだろうな、とか。

これだけ考えさせられるということは、やはり名作といっていいのだろう。
バブルのころならナオミをもてはやしたかもしれないが、現代だと引くと思う。
そう考えれば、日本のリベラルの到達点はバブル時代で、現代は次第に道徳や良識で自己を規定してほしいと願う大衆が増えてきているのかもしれない。

まあ、谷崎潤一郎は100年後も新しい。



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15歳で亡くなった妹の最期の言葉に、最大級の衝撃を受ける。 谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」



「かあちゃん、……あたいうんこがしたいんだけれど、このまましてもいいかい」
「ああいいともいいとも、その儘おしよ」
母は我が子の最後の我が儘を、快く聴き入れてやった。(219ページ)


谷崎潤一郎の自伝的小説。
妹は肺病で、わずか15歳で亡くなるのだが、上記が最期の言葉である。
現実はドラマのように最期だと判ってかっこいいセリフを残すわけではない。
まだ自分が死ぬとは思わず、生きているときの要求を、それが最期とも知らずにする。

病床の身ながら生意気な妹を、主人公はどぎつい罵りを心で思うも、すべてを言うことはできない。
これもリアリティだなあと思う。
たとえ相手が肉親で、死ぬ間際だろうが、気に入らないものは気に入らないのだ。

病気の妹との禁断の愛と言えば、20世紀末に一世の一部を風靡した加奈であるが、ヒロインの最期の言葉が「うんこしたい」だったら相当物議をかもしただろう。

常々思うけれども、谷崎潤一郎は100年先の現代よりさらに先を行っている。



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ショタ、ロリ、SMの新しすぎた小説。 谷崎潤一郎「少年」



次第に光子は増長して三人を奴隷の如く追い使い、湯上りの爪を切らせたり、鼻の穴の掃除を命じたり、Urineを飲ませたり、始終私達を側へ侍らせて、長くこの国の女王となった。(70ページ)

主人公の少年は10歳程度で、金持ちの友達の家に遊びにいくと13歳くらいの姉、光子がいて、最初は光子をいじめることに悦びを感じていたのが、ある事件がきっかけで関係が逆転し、上記のようなありさまとなる。
しかし、少年たちは被虐の立場においても悦びを感じている。

Urineは、昔の官能小説にはよく出てきた表現だが、尿のことである。
この描写のないたった二行においても、13歳の少女が女王となり、10歳の少年たちに様々なことをさせている様子がまざまざと思い浮かぶ。
純然たる趣味で、ランサーズとかで「湯上がりの浴衣少女が美少年に足の爪を切らせている図」を募集したい。
実際金さえあれば目的を問わずやってくれるのだけれど。

谷崎潤一郎をじっくり読み始めたのは最近で、僕の書きたい方向性にかなり近いなと思った。
「少年」の初出は明治44年で、100年以上前である。
この時代には相当新しかったと思う。
新しすぎて、不当な評価も多かっただろう。
今ならラノベに分類され、大いに受けそうだが。



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Author:原田 修明
小説を書くオッサン。
少なくとも、一生書こうとは決めた。

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