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共同便所と呼ばれる妻と別れられない。 谷崎潤一郎「痴人の愛」

 私は彼女の足下に身を投げ、跪いて云いました。
「よ、なぜ黙っている! 何とか云ってくれ! 否なら己を殺してくれ!」
「気違い!」
「気違いで悪いか」
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでいい!」
 私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。(367ページ)


この作品が初めて世に出た100年前、「悪魔主義的」という評価を受けたが、上記の主人公の魂の叫びは、まさに悪魔主義の精華というべきものである。
これが新聞に連載されていた小説だというから、100年前のおおらかさがうらやましい。
世の中は結局、大衆の無意識の赴く方へ進んできたと思うので、現今のリベラルを重視するがゆえに世知辛い世の中も、集合的無意識の流れに乗った延長にあるのだろう。

さて、ヒロインのナオミに対する論評は100年間で出尽くしたと思うが、ナオミの肉体に全く完全に屈服した主人公夫婦に、人並みの幸せは決して訪れないだろうなとは思う。
ナオミは強情でプライドは高いけれども、いろいろな男に肌身を許して挙句に共同便所と当の男たちから陰口を叩かれることに何も感じないのだろうか。きっと自分が好きでそうしているのだから問題ないのだろう。

読みながら、様々なことを考えさせられる。

源氏物語の若紫のように、少女を自分好みの女に育てるためにわがままをすべて許してきた結果が、共同便所扱いされる淫婦を生み出したしたのではないか、とか。

売春宿で育ったナオミが淫婦になるのは育ちからいって当然と登場人物が語る場面がある。現在では生まれや育ちでレッテルを張るのは良くないことであるということが常識になっているが、生まれや育ちが人格形成に影響を及ぼさないことはありえない、とか。

全裸にコートでうろつくナオミは、バブル時代の世相にもふさわしい、とか。

自由は自由の制限でしか体感できないように、人間は主人公とナオミの関係でみられるマゾヒズムを含む、他者とのかかわりでしか自己を認識できないのではないか、とか。

ナオミとは旧約聖書のルツ記にある優しい姑の名前だが、谷崎潤一郎は当然これを大いなる皮肉として名付けたのだろうな、とか。

これだけ考えさせられるということは、やはり名作といっていいのだろう。
バブルのころならナオミをもてはやしたかもしれないが、現代だと引くと思う。
そう考えれば、日本のリベラルの到達点はバブル時代で、現代は次第に道徳や良識で自己を規定してほしいと願う大衆が増えてきているのかもしれない。

まあ、谷崎潤一郎は100年後も新しい。



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