ティアマリア・エステミロワ第3巻の表紙

ティアマリア・エステミロワ第3巻の表紙が完成した。
1巻から引き続きY様である。
前巻までとは構図は同じだが、雰囲気がまったく違う。
上はリュドミラの幼年時代、下はアンゲルの少年時代である。
相変わらず美麗で、文句のつけようがない。

web小説表紙③1_a

今書いているのは、リュドミラ幼年編である。
母親ともども追放されるまでの物語で、アンゲルとの幼い恋が我ながらどきどきする。
いつの間にか30,000字を越え、中編レベルになろうとしている。
3巻は、半分近くリュドミラ幼年編になってしまうだろう。

誰も僕の書き方を縛る者がいないからこそ、自分の読みたい展開に好き放題できる。
問題は、まだ完成の目途がつかないことだが。

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」を見た。

先日、ウェブ上では評判の悪い「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」を見に行った。
少しは思うところがあったので、いろいろと書いてみようと思う。

なぜ見に行ったか

ヒロインのなずなが見た目好みだった。

実際どうだったか

まず、ヒロインを愛でるための映画だと思った。

夏制服。
スクール水着。
浴衣。
ノースリーブの白いワンピース。

シュミーズ。

色々な姿を満喫できた。

次に、ヒロインの性格。
中学1年生ということで、同学年の男子よりは大人びて耳年増であるが、用語に潜む意味を正確には知らない。

「女の子には何でも仕事があると思うの」
「私にはお母さんのビッチの血が流れているの」


と、うかつで危うげなセリフにオッサンはドキッとする。
身体は男の毒牙に供せられるほど発達しているので余計に。

脇を固める男子たち

「うんこ」で笑える最終盤の年代だろう。
遊びに真剣な態度がうらやましい。
自分の場合は、彼らのように恋愛について友人と語ることはほとんどなく、祐介のように「なずなに告るんだ!」と宣言するおおらかさはなかったと思う。
男子と女子が一緒に下校したらカップルと認識される時代と地域だった。

エンディングについて

色々と解釈はできるが、周囲を見ても釈然としていない観客がほとんどだった。

小説創作者として参考になった事項

中学1年生の世界に対する現実認識はこんなものだったなと思い出し、キャラクター造形については大いに参考になった。

報いを受けるべき者が報いを受ける爽快感。 真島文吉「棺の魔王1」



「貴様らの理念、貴様らの理想、とうてい賛同はできんが、理解はした。私利私欲ではなく、ひたすらコフィンの民を絶滅させないため、より多くを生かすために行動したことは認めてやろう。元老院には、元老院なりの大義があったと、認めよう」
「……だが、殺すのだろう?」
「当然だ」(196ページ)


約1年ぶりにラノベレーベルを読んだ。

雨と曇りの王国コフィンに、圧倒的破壊力の兵器「神」を有する隣国スノーバが侵攻する。
あっという間に占領を完了したスノーバは、コフィンの民を完全に隷属させるため、精神的支柱となる英雄を次々と殺害していく。
王族としてただひとり残された王女ルキアは、スノーバ軍の司令官たちから与えられる屈辱に怒り、懊悩する。

ルキアがスノーバの幹部に呼び出されるところに出会うたび、この年になってもいたたまれない気持ちになる。
スノーバ軍司令官ユークは、大航海時代に植民地を次々と獲得したヨーロッパ諸国の論理の体現者であると思う。
作者は相当歴史を勉強していると思われるが、子供が犠牲者になる描写がないのは優しさなのか出版社の意向か。

実際のところ、ラス・カサスのインディアスの破壊についての簡潔な報告や高山正之の白い人が仕掛けた黒い罠などを読んでも判るとおり、異人種に対する植民地化の過程は苛烈である。
インディアスの破壊についての簡潔な報告に載っている、スペイン人がインディオの子供を壁に叩きつけて殺したり、並べて吊るして火あぶりにするなどの挿絵はシンプルなだけに気が重くなる。

インディオ

王女ルキアは苦労ばかりだが、部下には恵まれていて、冒頭は腹心のガロルが戦争の当初からスノーバと内通していた元老院を粛清する場面である。
立場が違っても論理と信念があり、それは理解する。しかし許せない。
ここで、許してともに戦おうという流れが悪い意味で道徳的だと思うが、ガロルは一刀両断にしてしまう。
なんだか新鮮でスカッとした。

続きも読みたい。

テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

狂気と正気は異世界ではなく同じ地平にある。 武田泰淳「富士」



くたばれ気ちがいども。気ちがいだからと言って、特別あつかいしてもらえると思ったら、とんでもない間違いだぞ。甘ったれるな。なれなれしくするな。もう理解なんか、してやらねえぞ。(550ページ)

昭和19年、精神病院で働く若き研修医が、患者たちに振り回されるうちに自らも狂気に侵食されていく。
冒頭の文は、混乱の巷と化した精神病院で、主人公の心の叫びもしくは本当の叫びである。

特に第10章「愛をもって接しなさい」は、主人公の子供であるイエスを妊娠したと信じている女の患者が、看護婦たちに説法をするうちに正気である看護婦たちも、何の抵抗もなく女と同じ狂気に賛同していくさまが素敵で、それに巻きこまれた主人公も、怒りのあまり狂気に足を踏み入れていく。

自閉症スペクトラムというように、狂気の程度はグラデーションであり、今は正気でもそのまま狂気に移行することは容易である。
正気と狂気の間に壁も谷もなく、普段から狂気は心の片隅に存在している。

テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

他者の作品を読んで感想を書くことで気づくこと

最近、ツイッターで「RTした人の小説を読みに行く」で巡回している。

今のところ、RTした順にすべて感想を書いている。
自己ルールとして、必ずひとつはほめる。
そしてほめた数以上は気になる点を書かないということを決めている。

中にはほめるところをひとつ思いつくのに十五分も考えてしまう作品もあるが、僕も通った道である。
褒められれば勇気づけられるし、気になる点を指摘されれば教訓になる。

しかし、自分を顧みてみれば、褒められると妥協するタイプなので、ぜひ僕の作品を読んで技術論的に気になる点を指摘してほしい。
ひとの作品に指摘したことは、自分が気をつけようと思う部分でもある。

いろいろと、プロでないひとの作品を読んで思うことは、設定を説明したがるひとがとても多いことである。
とてもよく理解できる。
ノートに書き溜め、日々頭の中で育て続けたキャラクターや世界を、怒涛のように開陳したい。
アイデアが枯れ果てるまで表現し続けたい。

しかし、それはただの自己満足なのだ。
「書いて楽しい」であり、「読んで楽しい」ではない。

自分の作品、読み返して楽しいか?
常に自分に問い続けている。

最近の執筆状況

前回の記事で「ティアマリア・エステミロワ第2巻を4月中に出す」と書いていたが、まだ無理そうである。
加筆に加筆を加え、本来2巻分にしておこうと思ったところから完全にオーバーしている。

まあ、遅れたところで困るひとは誰もいない。
納得いくまで書くのみ。

また、最近はKDP一択からマルチ販売を試みている。
とりあえずオールド・スパイダーをBOOK☆WALKERとBCCKSに掲載した。
BCCKSは使いにくいが有料でほかのストアに配本してくれるので、少しは期待している。

GWから、毎日書けるようになってきていて、4月は24000字しか書けなかったが、5月は現在までのペースなら42000字になる。
正業がある場合の目標として最終的に月間60000字を目指しているが、順調にその目標には向かっているようだ。
ティアマリア・エステミロワを特に重視して書いているので、5月中こそ発売したい。

最近の執筆状況

最近は正業が特に忙しく、ブログを更新する余裕はなかった。
しかし、執筆は優先してやっている。

先日、30枚程度の短編を脱稿した。
溜めているアイデアを消費しようと思い、ストーリー化したもののひとつである。
電子書籍で出すほど不道徳でも不謹慎でもカテゴリーエラーでもなかったので、北日本文学賞に出すことにした。
公募ガイドを見て、該当する賞がそれしかなかった。

もうひとつは、ティアマリア・エステミロワ第2巻分の執筆である。
本来書いていた部分から大幅に追加していて、4月中に出せるか怪しい。
しかし、表紙はすでに依頼して出来上がっている。
1巻と同じくYさんである。

2巻

上の少女がリュドミラ、下の少年がイワンという。
2巻では、ティアマリアとリュドミラがイワンに大変な目に合わされる。

ティアマリアはもう6年ぐらい書き続けていて、初期のころの部分と文章のこなれぶりがまったく違うので推敲も大変だし、キャラを十人増やしてしかもそれぞれ立つようにしたいのでこれも大変である。しかし楽しい。

ティアマリア・エステミロワ第2巻、もう少し待っていただきたい。

なぜ物語を書き続けるのか。

物語を作ることに限らず、創作を続けるには何らかの理由がある。
又は必要である。

読者を面白がらせたい。
②書きたいものがある。
③ただ書くことが楽しい。
④書く以外に生活手段がない。

ほとんどの創作者は①~③で、④はまずいないのではないかと思う。
①を重視するひとは、創作で稼げる方向に進んでいるだろう。
というより、自分自身が最初の読者である以上、自分が読んで面白くないものを書き続けられるだろうか?

僕はまだ、第一作を書いているときのことを覚えているが、②と③の気持ちが強くあった。
面白いかどうかはともかく、想いを叩きつけたかったし、印象的なシーンやセリフを使うことが楽しかった。
何作も書いていくにつれ、創作それ自体への熱は引いていき、読者として自分の作ったものをどう思うかということを考えながら書くようになった。
最初は熱烈だった恋人同士が、長く付き合うにつれて沈静化していくようなものだ。

過去には新人賞にも応募したことがあるし、今は電子書籍を出している。
自分で楽しむだけなら、そんなことは必要ないではないか?

創作者としての自分の可能性を試してみたいという気持ちは持っているし、電子書籍は作って販売する行程や工夫それ自体が楽しかった。
つまりは、自分で作って読んでいるだけでは満足できず、色々なことを試してみたかったのだ。

では、僕は創作物たちと連れだってどこに行きたいのか?
創作にかかわることだけで稼ぐことができ、家族を養えたら素晴らしいとは思う。
しかし、自分の創作物を売り物にして商売をするのは、ほかのどんな商売よりも難しいと感じている。
正業があるので、生まれ変わろうという思いで取り組めていないとは言える。

そうである以上、創作は趣味の域を出ない。
また、今はそれに甘んじる方が現実的である。

以前から、結論は出ている。
たとえ歩みは遅くとも、書き続ける。
幸い、あと5年はネタに困らないストックがある。

そして、チャンスと勉強の機会は自らつかみに行く。
ただし、目先の欲得や小さな自己実現欲求にとらわれておかしなことをしないように気をつける。

そうすれば、少なくとも望ましい場所に近づけると思う。

それぞれのペルソナで生きる。

ペルソナと言っても人気召喚ゲームではない。

ひとが地位・役割に応じてかぶる仮面のことである。
職業人として、親として、子供として、配偶者として、兄弟として、友人として、趣味人として。
もっとあるだろう。

否応もなく与えられた役割もあるだろうが、それぞれに「こうなりたい姿」というものがあり、それを現状と比較することにより、具体的に解決すべき問題点が出てくる。
理想の姿を求めて問題を解決していくことにより、環境に影響はされても流されない主導的な人生を送ることができるのではないか。

偉そうなことを書いても、僕は職業人としてしかこの分析を行っていない。
問題点が具体化したからといって、解決できるとも限らない。

しかし、それぞれのペルソナでなりたい姿を設定できたら、ペルソナの数だけ人生も充実するのではないか。

ティアマリア・エステミロワ第1巻にAmazonレビューがつく

久しく更新していなかったが、正業が多忙であるのと冬だからということがある。
寒いと気力が萎える。
少し暖かくなり、自分の人生で優先順位が高いものは何なのか、一度じっくり考えてみたくなった。

まあそれは今度にする。
ずいぶん前に、ティアマリア・エステミロワ第1巻のレビューがAmazonに載った。
ホッケ太郎氏である。
海の記憶も、オールド・スパイダーも、彼がレビューを書いてくれた。
一部を紹介したい。

冒頭で、この架空世界の状況が明らかにされる。ウォランという名の国が、かつてルーシを支配し、その関係が逆転したため、今はルーシがウォランを虐げている、という架空世界。(モンゴルや、トルコによるヨーロッパ支配とその後の逆転という歴史を思い起こさせる。)主人公は、その奴隷状態にあるウォランの少女。物語が展開するにつれ、作品の背景が少しずつ明らかになってくるという緻密な構成だ。グイン・サーガのようなファンタジー世界だ。

奴隷状態にあった少女が、師に見出され、武術を学び、ルーシの士官学校に入校するまでが描かれている。少女は修行の中で、師から武術を学びながら、成長していく。この修行の行き詰まるような描写は、見事だ。二人が間合いを取りながら対戦する場面など、息遣いまでが伝わってくるようだ。

この第一巻は、少女が士官学校に入学するまでが扱われているが、その後、どのように物語が展開するのか、気になって仕方ない。壮大な物語を予想させる設定であるため、これから次々と話が繰り広げられるのではないか、と考えてしまうのだ。


グイン・サーガのような、というのはファンに怒られそうだ。
現在、書きかけの物語がみっつあるが、ティアマリア・エステミロワが最も終わりそうになく、どうしたら面白くなるか考える頻度が高い。
書いて楽しく読んで面白い。
作者にとっても読者にとってもティアマリア・エステミロワは幸せにしてくれる作品だと思っている。
カウンター
プロフィール

原田 修明

Author:原田 修明
小説を書くオッサン。
少なくとも、一生書こうとは決めた。

リンク
発売作品
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
電子書籍の表紙依頼に使ってます。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ランキング