他者の作品を読んで感想を書くことで気づくこと

最近、ツイッターで「RTした人の小説を読みに行く」で巡回している。

今のところ、RTした順にすべて感想を書いている。
自己ルールとして、必ずひとつはほめる。
そしてほめた数以上は気になる点を書かないということを決めている。

中にはほめるところをひとつ思いつくのに十五分も考えてしまう作品もあるが、僕も通った道である。
褒められれば勇気づけられるし、気になる点を指摘されれば教訓になる。

しかし、自分を顧みてみれば、褒められると妥協するタイプなので、ぜひ僕の作品を読んで技術論的に気になる点を指摘してほしい。
ひとの作品に指摘したことは、自分が気をつけようと思う部分でもある。

いろいろと、プロでないひとの作品を読んで思うことは、設定を説明したがるひとがとても多いことである。
とてもよく理解できる。
ノートに書き溜め、日々頭の中で育て続けたキャラクターや世界を、怒涛のように開陳したい。
アイデアが枯れ果てるまで表現し続けたい。

しかし、それはただの自己満足なのだ。
「書いて楽しい」であり、「読んで楽しい」ではない。

自分の作品、読み返して楽しいか?
常に自分に問い続けている。

最近の執筆状況

前回の記事で「ティアマリア・エステミロワ第2巻を4月中に出す」と書いていたが、まだ無理そうである。
加筆に加筆を加え、本来2巻分にしておこうと思ったところから完全にオーバーしている。

まあ、遅れたところで困るひとは誰もいない。
納得いくまで書くのみ。

また、最近はKDP一択からマルチ販売を試みている。
とりあえずオールド・スパイダーをBOOK☆WALKERとBCCKSに掲載した。
BCCKSは使いにくいが有料でほかのストアに配本してくれるので、少しは期待している。

GWから、毎日書けるようになってきていて、4月は24000字しか書けなかったが、5月は現在までのペースなら42000字になる。
正業がある場合の目標として最終的に月間60000字を目指しているが、順調にその目標には向かっているようだ。
ティアマリア・エステミロワを特に重視して書いているので、5月中こそ発売したい。

最近の執筆状況

最近は正業が特に忙しく、ブログを更新する余裕はなかった。
しかし、執筆は優先してやっている。

先日、30枚程度の短編を脱稿した。
溜めているアイデアを消費しようと思い、ストーリー化したもののひとつである。
電子書籍で出すほど不道徳でも不謹慎でもカテゴリーエラーでもなかったので、北日本文学賞に出すことにした。
公募ガイドを見て、該当する賞がそれしかなかった。

もうひとつは、ティアマリア・エステミロワ第2巻分の執筆である。
本来書いていた部分から大幅に追加していて、4月中に出せるか怪しい。
しかし、表紙はすでに依頼して出来上がっている。
1巻と同じくYさんである。

2巻

上の少女がリュドミラ、下の少年がイワンという。
2巻では、ティアマリアとリュドミラがイワンに大変な目に合わされる。

ティアマリアはもう6年ぐらい書き続けていて、初期のころの部分と文章のこなれぶりがまったく違うので推敲も大変だし、キャラを十人増やしてしかもそれぞれ立つようにしたいのでこれも大変である。しかし楽しい。

ティアマリア・エステミロワ第2巻、もう少し待っていただきたい。

なぜ物語を書き続けるのか。

物語を作ることに限らず、創作を続けるには何らかの理由がある。
又は必要である。

読者を面白がらせたい。
②書きたいものがある。
③ただ書くことが楽しい。
④書く以外に生活手段がない。

ほとんどの創作者は①~③で、④はまずいないのではないかと思う。
①を重視するひとは、創作で稼げる方向に進んでいるだろう。
というより、自分自身が最初の読者である以上、自分が読んで面白くないものを書き続けられるだろうか?

僕はまだ、第一作を書いているときのことを覚えているが、②と③の気持ちが強くあった。
面白いかどうかはともかく、想いを叩きつけたかったし、印象的なシーンやセリフを使うことが楽しかった。
何作も書いていくにつれ、創作それ自体への熱は引いていき、読者として自分の作ったものをどう思うかということを考えながら書くようになった。
最初は熱烈だった恋人同士が、長く付き合うにつれて沈静化していくようなものだ。

過去には新人賞にも応募したことがあるし、今は電子書籍を出している。
自分で楽しむだけなら、そんなことは必要ないではないか?

創作者としての自分の可能性を試してみたいという気持ちは持っているし、電子書籍は作って販売する行程や工夫それ自体が楽しかった。
つまりは、自分で作って読んでいるだけでは満足できず、色々なことを試してみたかったのだ。

では、僕は創作物たちと連れだってどこに行きたいのか?
創作にかかわることだけで稼ぐことができ、家族を養えたら素晴らしいとは思う。
しかし、自分の創作物を売り物にして商売をするのは、ほかのどんな商売よりも難しいと感じている。
正業があるので、生まれ変わろうという思いで取り組めていないとは言える。

そうである以上、創作は趣味の域を出ない。
また、今はそれに甘んじる方が現実的である。

以前から、結論は出ている。
たとえ歩みは遅くとも、書き続ける。
幸い、あと5年はネタに困らないストックがある。

そして、チャンスと勉強の機会は自らつかみに行く。
ただし、目先の欲得や小さな自己実現欲求にとらわれておかしなことをしないように気をつける。

そうすれば、少なくとも望ましい場所に近づけると思う。

それぞれのペルソナで生きる。

ペルソナと言っても人気召喚ゲームではない。

ひとが地位・役割に応じてかぶる仮面のことである。
職業人として、親として、子供として、配偶者として、兄弟として、友人として、趣味人として。
もっとあるだろう。

否応もなく与えられた役割もあるだろうが、それぞれに「こうなりたい姿」というものがあり、それを現状と比較することにより、具体的に解決すべき問題点が出てくる。
理想の姿を求めて問題を解決していくことにより、環境に影響はされても流されない主導的な人生を送ることができるのではないか。

偉そうなことを書いても、僕は職業人としてしかこの分析を行っていない。
問題点が具体化したからといって、解決できるとも限らない。

しかし、それぞれのペルソナでなりたい姿を設定できたら、ペルソナの数だけ人生も充実するのではないか。

ティアマリア・エステミロワ第1巻にAmazonレビューがつく

久しく更新していなかったが、正業が多忙であるのと冬だからということがある。
寒いと気力が萎える。
少し暖かくなり、自分の人生で優先順位が高いものは何なのか、一度じっくり考えてみたくなった。

まあそれは今度にする。
ずいぶん前に、ティアマリア・エステミロワ第1巻のレビューがAmazonに載った。
ホッケ太郎氏である。
海の記憶も、オールド・スパイダーも、彼がレビューを書いてくれた。
一部を紹介したい。

冒頭で、この架空世界の状況が明らかにされる。ウォランという名の国が、かつてルーシを支配し、その関係が逆転したため、今はルーシがウォランを虐げている、という架空世界。(モンゴルや、トルコによるヨーロッパ支配とその後の逆転という歴史を思い起こさせる。)主人公は、その奴隷状態にあるウォランの少女。物語が展開するにつれ、作品の背景が少しずつ明らかになってくるという緻密な構成だ。グイン・サーガのようなファンタジー世界だ。

奴隷状態にあった少女が、師に見出され、武術を学び、ルーシの士官学校に入校するまでが描かれている。少女は修行の中で、師から武術を学びながら、成長していく。この修行の行き詰まるような描写は、見事だ。二人が間合いを取りながら対戦する場面など、息遣いまでが伝わってくるようだ。

この第一巻は、少女が士官学校に入学するまでが扱われているが、その後、どのように物語が展開するのか、気になって仕方ない。壮大な物語を予想させる設定であるため、これから次々と話が繰り広げられるのではないか、と考えてしまうのだ。


グイン・サーガのような、というのはファンに怒られそうだ。
現在、書きかけの物語がみっつあるが、ティアマリア・エステミロワが最も終わりそうになく、どうしたら面白くなるか考える頻度が高い。
書いて楽しく読んで面白い。
作者にとっても読者にとってもティアマリア・エステミロワは幸せにしてくれる作品だと思っている。

売れるのは楽しい。

出版した電子書籍が売れるのは嬉しい。
自分が工夫したやり方で売りあげが伸びるのは楽しい。

自分が創作者で、編集者で、営業である。
創作者の幸せとは、創作に専念することなのか。

イエスとは言い切れない。
好き勝手に物語を作っていたら、いつの間にか儲かっていた、というのは、自分の生活基盤を運任せにしているのに等しい。
僕が思うには、創作者の幸せとは創作そのものであると同時に、創作物が人から認められることである。
認められるにも、言葉は無料でいくらでも発することができる。
対価というのは、自分の物語の価値について、指標のひとつになる。

僕の物語、あるいは僕と言うブランドは、金を払う価値があるのだという証拠がほしい。

テーマ : 物書きのひとりごと
ジャンル : 小説・文学

「不安」とのつきあい方について。

気温が下がってくると、僕は不安を感じることが多くなる。

僕は「不安」と「悩み」は別物だと思っている。
「悩み」には原因があり、それを取り除くことによって解決されるが「不安」は違う。
「不安」には、それをもたらす原因がないのだ。

不安に感じる要素が何もないのに、不安でしょうがなくなる。
なぜ不安なのかも判らない。
これが、仕事上の悩みとバッティングしたりすると最悪だ。

仕事上の悩みを解決するために、いかに周到に用意をしても、不安がもたらされる。
やるべき用意はすべて終わって、あとは実行だけだと理屈では判っているのに、不安でしょうがない。
「悩み」は解決されているのに、それとは無関係に「不安」が生じる。
昔は混同していたが、「不安」は「悩み」が原因ではないのだ。

世の中には「認識のコントロール」とか「瞑想」とか色々と心を軽くするための手段が紹介されているが、僕も試してみたけれど最も即効性と高い効果があるのは、端的に言えば薬である。
薬を飲むことに抵抗もあったので、まずは認識のコントロールとかやってはみたこともあるが、あまり効果的ではなかったように思う。
薬を飲んでみると、30分もすれば不安が嘘のようになくなり「準備は万端だ、あとはするだけだ」と考えることができるようになる。

僕より症状の重い人もいるし、様々な症状があるので一概には言えないが、心の作用だからといって苦しいときにただ我慢すれば、1日中苦しいし、周囲に迷惑をかけることにもなる。
麻薬ではないので、薬に頼って楽になるならそんなに深刻にならず、使ってもいいと思う。

テーマ : メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

ときどき、何のために物語を書くのかを思い返す。

冬は、みじめな思い出が多い。
雪や冷たい雨が降る日は、外を見る前から判る。
気持ちが落ちこんでいるからだ。
湿度だか気温だかが過去の思い出を条件反射的に浮かび上がらせる。

そんなときには、執筆にも身が入らぬ。
金土日とさぼっている。

何のために書いているのか、書き続けているときには思い返しにくい。
書かない日があることによって、自分はなぜ書かなくてはならないかを明確に思い出す。

たぶん、物語を作ることが溺れるように好きだったら、やらない日はない。
書くことが苦しいから、書かない日がある。
おそらく、いわゆる天才とは創作に淫することができる人だと思う。

僕は、限られた執筆時間を、そのほかのことに使い、寝てしまったときに早起きして執筆したりはしない。
そこまで行くほど好きではないのだろう。

執筆を「商売」にしたいのである。
今は正業があり、家族が文化的に生活するには十分な収入があるが、それはいつまでも続くものではない。
退職後も細々と食っていける仕事を執筆にしたいのだ。

ときどき、ランサーズで小説30000~50000字を5000円~10000円という依頼も見かけるが、ちょっと待てと言いたくなる。
しかしながら、今まで5冊出した電子書籍の印税の合計は、1万円以下なのだ。
つまり僕の作品の金銭的価値をそう見ることもできる。
5冊分の文章の合計は40万字ほどだろう。
それを思えば、適正な価格なのだろうか。

正業がなければ飛びつくと思うが、生活基盤が安定している今は、アマチュアの特権を存分に使って、いろいろと試していきたい。
書いているうちに心が少し安定してきた。
執筆には、こういった効用もあるのかもしれない。

テーマ : 物書きのひとりごと
ジャンル : 小説・文学

今後の電子書籍販売予定。

今、もっとも力を入れて書いているのは赤ん坊と身体が入れ替わってしまった高校生が身体を取り戻す長編である。
これは、3月末に脱稿の予定を組んで書いているが、賞に出すのか電子書籍にするのかはまだ決めていない。
海の記憶小さな、あの家のようにあらゆるカテゴリーエラーに該当するものではないので、賞に出す可能性は高い。

並行してティアマリア・エステミロワの2巻も書いている。
1巻の終わりで出てきた十人衆の扱いに頭を痛めている。
出してしまったからにはなかったことにはできない。
山田風太郎の忍法帖シリーズや冲方丁のマルドゥック・ヴェロシティみたいなのを書いてみたくて出したのだが、正直手に余る。
しかし、楽な道は選ばない。
すべてのキャラクターを使い切ってやるつもりだ。

ティアマリア・エステミロワ第2巻は3月中旬に販売できるよう予定を組んでいる。
お楽しみに。

テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

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原田 修明

Author:原田 修明
小説を書くオッサン。
少なくとも、一生書こうとは決めた。

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